横浜の北のはずれ、恩田から奈良あたりを歩いています。
夏には青々と茂っていた楓(かえで)や銀杏(いちょう)も、
役目を果たし切った葉を、まもなく落とし終えようとしています。
野や畑から今年の緑が消え、枯れ草の中から来春の緑が芽吹いています。
一年草たちは、春に、夏に、懸命に花を咲かせ、
受粉し、実を結び、種を太らせ、
体に貯えていた生命の最後のひと雫(しずく)まで使い果たし、
見事に枯れ果て、野や畑の肥やしとなります。
一年草たちは、老いたくないとか、朽ちたくないとか、
来年もまた萌える若草色の体で生きたいとか、
天と地とから受けた恵みを出し惜しんで種もつけず、
秋風に青々しさを誇るとか、そんなことは一切しません。
秋ごとに、褐色の茎と葉とを静かに横たえて、
残す子孫に生命の営みを託しながら、一年の草が枯れてゆく姿に、
子らの為にひたすら生きてくれた、父母の愛を思います。
人の一生の終りにも、こんな栄(は)えある卒業式があってほしいとも。
(2001.11.28)
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